『怒らない 禅の作法』枡野俊明|「今」に集中する、禅の時間を継続します!【読書記録】

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仏教関連の本、きっと何冊読んでも、私は死ぬまで「煩悩の塊」なのだと実感しながら生きていきます、どうも、pirokoです。

私、なんでこの本を借りて来たのかよく覚えてないのですが…きっと仏教関連の本が並んでいるところから自然と選んできたんだと思われます。少々前から「座禅してみたいー!」って思いが強くなっていて、「禅」って単語に惹かれた確率が高いです。

河出書房新社の公式Websiteよりスクショしております。画像クリックで本の紹介ページ飛べます。

で、この本読んでいたら「禅語」がいっぱい出て来たんですよね。「座禅」もなんとなく分かっていたつもりだったけど、改めて「禅」関連についてChatGPTに聞いてみました。以下、その時の会話のスクショです👇

「禅」って、宗派のひとつだったのか…知らんかった…

それにしても「禅語」って、悟ることよりも煩悩との付き合い方っていうか「生きるヒント」だな、と思うのです。宗教というより哲学っぽい

で、本文で紹介されていた気になる禅語がコレ👇

「一日一止」とは、中国の言葉です。

「一日に一度立ち止まれば、正しい生き方ができる」という意味。「一」と「止」を合わせると「正」という文字になりますから、なるほどと腑に落ちる言葉ですね。

立ち止まるって、「今」を真剣に感じるってことなんだろうな、と。

「悲しい」とか「嬉しい」とか、今感じている感情に集中することはもちろんだけど、まさに五感をフルに使うイメージ。私はダイエットのために平日に朝散歩してますが、まさにコレが私の「今を感じる禅」の時間なんだろうな、と。

朝散歩のコース、とある場所に寄るのですが、そこで手を合わせるんですよ。目を閉じて手を合わせ、心の中で1から60を2回、数えます。この約2分間は歩いているとき以上に空気の感じや日差しの暖かさ、鳥の鳴き声…こういう五感を使った「今」を感じられるものに集中します。

この実践、この本に出会う前から継続していたことなんですが、この時間って「座らない座禅っぽいよなー」と思ってたんですよ、実は。なのでこの本に出会ったことで思わず調べましたが👇ありましたよ!

※Wikipediaをスクショしております。

太極拳にも関係してるのかーーーーー!でも、分かる気がする…あの動きは自分の身体に全集中しないとできない気がするもの!

しかも「歩いて禅」も可能とは!(円覚寺のWebsiteで歩行禅について解説ありました)ってことは、私の朝散歩の「歩く」「手を合わせる」時間全部を「禅」として意識することも可能ってことか!なんと!

しかもこの時間を朝、落ち着いて確保できるからこそ、その1日が落ち着いていられるのかもしれないなぁと。この本に出会わなければ、何となくのルーティンになっていたかもしれない。でも、今は「一日一止」の時間を朝に実践していることを実感できている。なんとラッキーな!

これはもう「心と身体を整える」朝のルーティンとして継続決定であります!

いやぁ、この本とのご縁は私にとってかなり大きい。

ぶっちゃけ「怒らない」ってことができるようになりたくて借りた本ではない…とは言え、第3章にはかなり具体的な「ケーススタディ 怒りを消す禅の作法」が紹介されていて、これがなかなか「わかりやすい人生相談」過ぎて好き!

  • 「なぜかいつもイライラしてしまう」ときには放下着(ほうげじゃく)
  • 「顔も見たくない上司がいる。言動のひとつひとつが不愉快」なときには悟れば好悪なし(さとれば こうあくなし)
  • 「相手が思うように動かず、毎日怒ってばかりいる」ときには行解相応(ぎょうげそうおう)

禅語…これはホント興味深い!

「悟る」って私には絶対に無理だとは思ってる…諦めてる。とは言え、諦めてると言うより煩悩との付き合い方こそ私の哲学。試行錯誤しながら、自分の思考と真正面から付き合っていくのが人生。

自分をどう扱うか…一生の課題ですな。

私と一緒に「禅」の考え方を通して「煩悩」と向き合いませんか?しかも、もし怒りに囚われて負のスパイラルに入っているな、と思っているのなら、この本が良い「縁」となってくれるはず!更に👇からこの本をご購入いただけますと、pirokoの煩悩が…煩悩が!(要するにアフィリエイトリンクです)

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2度目の海外帯同はシンガポール ~piroko、上海に引き続きまた帯同するってよ~
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