私、もう40こえてますけど…自分のために読みました。『10歳から身につく 問い、考え、表現する力』斉藤淳【日本人会図書室で借りて読んだ本】

シンガポール

とある本で【「結論」から書かない文章は、時間泥棒である。】って言ってたから、この本を読み終えた時に感じたことをまず言います!

この本を読んで「どんな外国語に触れても、勉強していても、まずは母語を大切にしよう」と思いました!

母語であっても外国語であっても「伝えるべきメッセージ」が固まっていなければ、伝わらないし相手を納得させられない。当たり前っちゃー当たり前なんですけども…やっぱり母語での理論構成力、そして感受性が大切なんだと。この本を読み終わって次に読み始めた本にも”内なる言葉”って単語が出て来たのですが、まずは自分の母語で、意見を育てる必要があるんだ、ってこと。

そう言えば夫から「英語教育よりも、まずは日本語教育をしっかりした方がいいって考え方の人も多いらしいよー」なんてことを少し前に聞いてたっけ。私が壊滅的に英語ができないこともあり「子どもには早いうちから英語教育が必須だよなー」なんて漠然と思っていたけど…早くから英語を学ばせたからと言って、子どもが心から「英語で話せるようになりたい!」と思わない限り、英語は見につかないのかなぁと今更反省。

…とは言え、やはり子どもってのは耳が良くて、私なんかより我が子の方がずっとリスニング力が高いことを実感している私なのです。

リスニングについては、ひとつエピソードがありまして。上海にいたとき、私が中国語で話しかけられて、全然聞き取れなくて答えられなくて、その人は苦笑いして立ち去っていた…なんてことがありまして。そのとき、隣にいた息子が「排队(並ぶの意味)って聞こえたよ」と言い出しまして…あぁ!それって「どのくらい並んだんですか?」ってことを聞きたかったのか!と気づく…声をかけられたのは、人気のドリンクスタンドのジュースを飲んでいた時だったのです。「排队」と言えば、息子は当時幼稚園児だったので、幼稚園で「並びなさい」ってことをその場の状況と先生のセリフが「音」として認識されていて、それを聞き取ったんだと思います。まず、中国語(英語もでしたけど)を良く聞く環境にいるってこと、そこにプラスして子どものリスニング能力が高いという事実を踏まえると、やはり今、シンガポールで英語に触れる時間が多いことは、メリットだと単純に思います。それに実際、私なんかより息子の方が英語をよく聞き取ってます。部屋の修理に人が来た時、私が聞き取れなかったことを息子が聞き取って私に伝えてくれたもんね…ご本人さんが「英語が話せるようになりたいかどうか」ってことも重要なのはわかるけど、圧倒的に「環境」のおかげで息子に何かしらの英語スキルが身についてることを実感して嬉しい私なのです。

さて、私の恥ずかしいエピソードはこれくらにしまして。読んでいて「コレな!」って思ったことが2つ、引用します。

外国にでかけると、言葉が通じない不便さを感じることが多々あります。そんななかで、意思疎通ができたときに感動するのは、「相手の言うことがわかった、自分の言いたいことが伝わった」という、人間として生きている喜びのひとつを確認するからなのだと思います。

はい、まさにコレ。私、日々コレ。まず上海でも同じこと思ってました。

生きている喜びって大袈裟でもなんでもなく、まさに、生きている喜びのひとつ!上海に帯同したとき、はじめて自分の中国語でなんとかなったときって、非常に異常にドーパミンが出てたな!と思います。そう、喜びなんですよね。

中1娘も友達と出かけて「注文するときさ、店員さんによって言い方とか発音が全然違ってさ…でも、聞き取れたときとか伝わったときって、ホント嬉しい」と私らに話してくれまして。そのとき「あぁ、この子は生きた英語を話せるようになったんだな」って親バカ思ったし、学校の英語のテストで高得点をとるよりも、こういう経験を積み重ねて欲しいなぁと心から思ったものです。もちろん、英語が壊滅的にできない私も同じで、こういう経験をシンガポールで積み重ねて英語や中国語をガンガン使おうと思います。まだまだ、お豆腐メンタルなので…

2つめ。以下は我が子らにも言えることだし、私にとっても大切にしたいこと。

自分が経験しなかった痛みや喜びには、人間は恐ろしく鈍感なものです。言葉を学び、知識を身につけることは、文化や空間を超えて共感することのできる感受性を養うことであってほしいと思います。

上海に住み始めた最初の頃「日本とは違う…理解できん!」と思うことも多く、正直戸惑いました。それはきっと、知らないことへの恐怖であったり不安であったり、こうであって欲しいという自分勝手な要求でしかなかった…振り返ってみると激しく恥ずかしい!「恐ろしく鈍感」だった私が恥ずかしい!この一文読んだ時の衝撃はきっと忘れない。

さて、感受性を養うっていうのは五感をフルに使って、知らなかったことを知ること、知らないということを知ることが大切なんだろうと実感してます。私は「今の私」には、それが一番大事だと。私は「経験値」って言葉が好きなんですけども、経験したことが多いほど、自分がパワーアップした気がして幸せを感じます。それが成功体験でも失敗体験だったとしても。何を経験しても、感じ方は人それぞれ。だからこそ、「今の」私にしかできない、「今しか」感じられない経験をたくさんして「経験値」をいっぱいためながら歳を取りたいと日々思ってます。鈍感なままでいたくない、とも言えるのですが。

実は、娘に「お母さんには分からないよ」と言われて、ドキッとしたことがありましてね…そう、私が経験していないことは分からない。大人になって、分かってきたことがいっぱいあったはずだけど、やっぱり「自分が経験しなかった痛みには鈍感」なんですよね。娘よ…鈍感な母で申し訳ない。私はのほほーーん&あっぱらぱーな中学生だったよ…

また我が子のエピソードに自分が情けなくなってしもた…ははは。自分の欠陥を探すのは良くないと思いながらも、やはりすべてが経験値に繋がると信じて、これからどうするかを考えよう。そうしよう。

今、こうしてアウトプットを続けているのも、自分の考えを深める作業のひとつ。いろんな本を読んで、いろんなこと感じて、もっともっと自分の言葉、日本語と言う母語を大切にしたいな、と改めて実感しました。これから10歳を迎える息子のことを思い浮かべてこの本を借りて読みましたが、最終的に私自身のことを見つめ直す本になりました。うん、それもまた、良き。

タイトルとURLをコピーしました