人間らしい幸せも、サルやゴリラと変わらない幸せも両方大事にするんだ!と決めた1冊『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』苫米地英人【日本人会図書室で借りて読んだ本】

シンガポール

中野信子さんの本を読んで、脳科学に関する分野に興味を持ったことで、苫米地さんの名前を見るようになりまして。それで、日本人会図書室にも苫米地さんの本があるかなーと検索したところ、この本を見つけました。(苫米地さんの本は全部で11冊借りられるようです)

YouTubeの本要約チャンネルでも、苫米地さんの本の紹介がいくつもあって、この本の要約動画もいくつかありました。まず、それを見て借りてみたのです。見たのはコチラ↓

そして読んでみて。

私にとって「頭のゴミ」がどうこうってことよりも、とにかく反応しちゃったのが以下のこの一文。

例えば、野生のオオカミが、自分の家族でもないオオカミのためにエサを獲ってきて食べさせることなどありません。自分を犠牲にしても幸せを感じるのは人間だけなのです。

「自分を犠牲にする」っていう、そういう感覚はないのですが…私のエピソードをふたつほど。

ひとつめ。以前、息子が私の作った料理を「美味しい!」と褒めてくれて、幸せー♪な気持ちになっていたのです。ただ、その日はなぜか続きがあり「お母さんがお母さんで良かったー」と息子が言ったのです!!

まさコレだなぁって思うんですよねぇ…毎日のことってしんどいときもあるじゃないですか。特に私は料理って、キッチンに立って調理するのは大好きなんですけど、献立を考えるのが苦手なんです…そういう点では、嫌いなことをしている(ある意味これが犠牲になるかな?)のに、その結果、幸せを感じることができた…最高ですよね!人間しか、こういう感情をもつことができないっていうのは、なんだか信じられないけど、そういうもんなんだと思うと、こういう気持ちを味わえる人間ってのは幸せだなぁと。感謝しかないわ、これ!

そしてふたつめ。ひとつめの話は「家族からもらった幸せ」だけど、家族以外の誰かを助けることができたり、喜んでもらえたり…そういうことができるような人になりたいな、と強く思っていたところ…同じマンションのママさんが「息子(小1)が小学校でハンカチとティッシュの忘れ物がないかチェックされてるみたいで…それもあって移動ポケットっていうのがスグ欲しいんだけど、オンラインで注文しても届くまでに数日かかるみたい」と言っているのを、朝のスクールバスお見送り時間に聞きまして。直接じゃなくて、他のママさんと話しているのを偶然聞いた感じなんですけども。

それならば!と急に思い立ち、お迎えの時までに間に合うように移動ポケットを手作りしました。どんな柄がいいとか、もうそういうことは今は気にせんで作ってみよう!と思い、家にあった布で以下の動画を参考にさせてもろて、久しぶりにミシン出してきてスドドドドドーーーーーー。

今回はとりあえず忘れ物チェックに引っかからないってことを最優先にしてもらうことにして。あとは希望のものを物を取り寄せるなり、もしご希望してくださるなら、生地やサイズ感の希望を聞いて作り直せばいいだけのこと。まずはママさんの心配事を解決できるなら!の一心で作りました。

で、スクールバスお迎えの時間にお渡ししたら、予想以上に喜んでくださって!なんだ!なんなんだ!この満たされる感覚!なにより承認欲求爆上がり!自分を犠牲にしたって感覚は全くなく、大好きなミシン作業に久しぶりに取り組めた上に、作ったものを褒めてくれて喜んでくれる…この最高の喜びよ!そう、「幸せ」よ!

こういう幸せを感じられるのが苫米地さんがいう「人間だけの幸せ」なのだとしたら、これからは、私はこの幸せを追求する人生を歩むことに決めてしまえばイイのではないか!と。誰かの役に立つ、問題を解決する、喜んでもらう…最高!考えただけで最高!

とは言えですね…そこにお金という報酬が生まれるなら更に最高…と思うのは結局のところ、煩悩ですかーーーー?(叫)

以前に読んだ本で「稼ぎたいなら、まずは喜んでタダ働きしなさい」的な一文もあったからな…その辺はバランスなのかなぁとも思うのですが。

今は専業主婦ですけども、やはり、自分のしたことに対価がいただけるようになれば、もっと頑張れるんじゃないかとか、承認欲求が更に満たされるんじゃないかとか、そういうことも考えてしまうのが正直なところ。今の私には「お金を稼ぐ」方法はないけど、家族のために家事をすることで不自由なく暮らせている、という意味では対価を頂いてるって自覚もあるんですけどね。

海外勤務が決まった夫に帯同するために私は仕事を辞めたのですが、正直「自分に稼ぎがあった」ことにプライドがあって、今は自分のしていることに「お金」で対価が得られないことが悔しいんだろうなって改めて実感してしまう私。息子や同じマンションのママさんから「幸せ」を頂いて生きているのにね…仕事をしていた過去も今も、どちらにも「誰かへの貢献」があったはずなのに、いつまでも過去に「お給料を頂いていた」ということに、しがみついている自分は情けないなって。

とは言え、ハッキリと「お金という対価」が支払われることによって得られる「幸せ」も間違いではないな、と。あぁ、結局のところ、The 煩悩でもあるのよなぁ…幸せって難しい。

なんだか私の考えって矛盾してるし、まとまらないのですが…苫米地さんは「自分だけの幸せはサルやゴリラと変わらない」と本には書いておるけれども…誰かに喜んでもらったり、一緒に幸せになることも「幸せ」だと思うし、自分だけの幸せも、やはりそれも「幸せ」。それでいいと思うし、今の私は「人間らしい幸せも、サルやゴリラと変わらない幸せも両方大事にして、私なりのバランスを見つけよう」と、私は割り切りたいと思ったのでした。

1冊本を読んで、またあれこれ、いろいろ、考えたなー。こういう感覚、やっぱり「幸せ」なのです。

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