「叶恭子の知のジュエリー12か月」叶恭子

シンガポール

予想外に面白かったというか、大いに頷いてしまった本。叶恭子さんにはファンが多いのもなんか理解できるな…と思いました。

中高生のための「よりみちパン!セ」シリーズの1冊。なぜか出版社の理論社HPで検索かけても出てこない…謎。Amazonさんのスクショです。

以前に『バカなおとなにならない脳』養老孟司(amazonに飛びます)に出会ったことで、このシリーズを知りました。中高生向けなので、もともと養老先生の本も小6娘が興味持ったら読んでくれるかなーと思って借りては来たものの、悲しいかな、やはりスマホにしか彼女にとって面白いものはないようで私が一生懸命読みました、と。

仏教関連の本読んでると、付箋がたくさん付くんですけど、この本もかなりの数の付箋貼りました。恭子ねえさん…考え方がブレないといいますか、清々しいとさえ思ってしまう、うらやましい価値観の持ち主。いろんな経験積んで、これだけの考え方をお持ちなんだろうなぁと素直に尊敬します。いや、うらやましいっていうのは違うかなぁ。最初のまえがきみたいな部分でも

わたくしは自分の価値観で生きています。いろいろなことを言われているのは知っていますけれども、それによってわたくしの価値観や生き方を変えるつもりはありません。たとえ、そのことによって誰かに好かれないとしても、かまわないのです。

そうハッキリ言ってますしね。これは、清々しい。好き。自分と他人をしっかり分けて考えてる人なんだろうな、と。では、心に響いた言葉たちを引用させていただきますー。

12か月のジュエリーってことで、1月は「知性について」

知性のはじまり

知ったふり、わかったふりをするのではなく、知らないこと、わからないことがあれば、恥ずかしがらずに率直に聞く。それがエレガントということです。

第一発目の言葉がコレよー。清々しい。知ったかぶりしたくなっちゃう慢の心、良くないもんね…知らないこと、今はすぐにスマホで調べられる時代だし、私もエレガントに生きたいものです。

自分と他人

自分自身の価値観で生きることは、「自分勝手」「ひとりよがり」とはまったくちがうこと。他人の意見に耳を傾けることと、自分に誠実に生きることは矛盾しないのです。

行きつくところ、恭子ねえさんはココを大切にしてるのかなぁと思いますね。きっと、自分をよく見てるんだと思います。ついつい人に流されちゃうとか「みんな言ってますよ」「みんなやってますよ」に一切流されない人なんだと思われます。

ちがう変化

年を経るとともに、ひとの肉体は変化します。そのとき、なげやりになってしまう人と、「どうしたらちがう進化の仕方ができるのか」と考える人とでは、まるっきりちがってきます。何事においても「まあ、いいや」という投げやりな気持ちは、容姿にもはっきりと出てしまうものなのです。

うらやましいからなのか、どこか、美や若さへの執着を感じてしまう私ですけれども、この考え方をしているからこそのあの容姿なんだろうなぁと思いますね…今後、どんな歳のとり方していくのか興味はあるなぁ。私も「まあ、いいや」って投げやりな気持ちをもたないように、これからも毎日の筋トレとストレッチは欠かさずに過ごすぞー!人間の肉体も諸行無常なんだから、抗えないところはいい意味で「まあ、いいや」はしたいと思いますけどね。

「愛」というトレーニング

他人とはちがうということを知る。その視点に立って、自分を心からいつくしみましょう。自分をいつくしむということは、自分を甘やかすことではありません。いつくしむためにはむしろ、「自分との対話」がたえず必要となります。そう、「愛する」ことはトレーニングでもあるのです。

「自分を心からいつくしむ」っていうのは、どんな時にすればいいんでしょうね?「自分との対話」をする時ってどんな時でしょう?あぁ、今私は私をいつくしんでいる…って思えるときがあるんだろか…と妙に考えてしまった一文。

続いて2月は「ブスについて」恭子ねえさんは「まずは、「ブス」という言葉を、あなたの辞書から追放しましょう」と申しておる。

からだの基本

ダイエットとは、魅力的なからだをつくるための生活の基本ともいえるものです。つもり、「美しさ」をつくるための基本であって、ましてや、「減量」のことではないのです。

なかやまきんに君も言ってた!「病気等で痩せ過ぎてしまった人が、健康的な体重に増やすこともダイエット」的なことを。これはもう瘦せすぎたことのない私にとっては衝撃的な言葉だった訳ですけれども。「自分の考える」魅力的なからだづくりは、やっぱり生活の基本ですね。

自分にしてあげられること

容貌や身体など、持って生まれた造形は1ミリも変えることができない、と思い込むのは罪悪です。あなたが、あなた自身にしてあげられることは、きっとあります。まずはそれが何か、冷静に考えてみましょう。

「罪悪」と言い切る恭子ねえさん…さすがっす。そう、冷静に考えてみることにします、そうします。そして6月にとびまして「友だちについて」

批判か、賛同かではなく

自分とちがう価値観だからといって批判したりせず、かといって、波風を立てることを恐れるあまりに「わたしもそう思う」と心にもない賛同ばかりを口にするのでもなく、ナチュラルにお互いの意見を聞き合いましょう。

「ナチュラルに」具合が難しいよなぁ…そう思わないときの言葉選び、難しい!いや、心にもない賛同「ばかり」を口にするのが良くないって考えればいいか!いろいろバランスが難しいところ!

月が替わって7月は「思いやりについて」

無力さと限界

わたくしにも、自分ではどうにもできない、変えられないことがあります。それを受け入れるのは辛いことですが、無力さや限界を知ることは、「他人は思い通りにできない」という真実を理解するために、人として、大切で必要な経験であると信じているのです。

禁断の欲望

他人を尊重することを知らない人だけが、「他人は自分の手で変えることができる」と考えます。そういう人は、自分が振っている「思いやり」の旗の下に、「他人を思い通りにコントロールしたい」という禁断の欲望がかくれていることに、自分で気づくことができません。

依存からの自由

他人をコントロールすることの快感は、あまりにも強いものであるために、人はそのことに依存しがちになります。しかし、真の「親切」と「思いやり」は、どんな依存からも完璧に自由なところから生まれるものなのです。

まとめて。ホントこれは私も大切だと思う!「他人は思い通りにできない」し、しちゃいけないと思う。子育てしてると、何となく思い通りにしちゃいたいし、できないことが子育てのイライラになっちゃうんだろうな、とも思うんですけども。煩悩、The 煩悩だ。あぁ煩悩。煩悩万歳!他人は思い通りにはできないという『真実』ってことに気づくこと自体が大切ですよね、恭子ねえさん…辛いっす。

最大の親切

何もしない。求めない。協力しない。一見、最大に不親切であるような姿勢が、そのじつ、他人に対して最大の親切になりうる場合があると知りましょう。

こりゃ真理だ…よかれと思ってやったことが、相手にとっては、The おせっかいになる場合って、あるあるですよね。慢!「してやったのに」ってスタンスでいると辛いけれども、そう思われてしまったら、もうそれは自分が反省するしかないし、何もしないことが、協力しないってことが最適だったんだと思えることは重要ですね、真理!

そして8月は「欲望について」

自分からはじめること

あなたが自分を大切にすれば、相手も、そして世の中も、あなたを大切にするでしょう。逆に、あなたが自分をないがしろにすれば、「どうせ本人さえ、自分をないがしろにしているのだから」と、まわりはますます、あなたを大切にしなくなるでしょう。

これって、結構できないことかも、と改めて。友達に優しくしましょう、お年寄りに親切にしましょう…それは小さなころから言われ続けていることだけど「自分を大切にしましょう」ってあんまり言われないことかも。誰かに優しくするには、まずは私を大切にすること、意識してみようと思います。

9月は「お金について」

お金と付き合うセンス

高いか、安いかではなく、「適正であるかどうか」。この判断を持つことが、「お金」と付き合う姿勢であり、最大のセンスとなります。

賢くあるために

ものの適正な価格をしることは、自然な「節約」につながります。さらには、詐欺やキャッチセールスなどの被害を回避できることにもつながるのです。

ブランドあれ、ノー・ブランドであれ

適正価格をふまえ、かつ、あなたにハピネスをもたらすと考えられるのであれば、よい買い物をしたことになるでしょう。たとえそれが安いものでも卑下する必要ありませんし、あまりに高いものであるとしても、身の程知らずだったと後悔することなどありません。

「100円だから安い、100万円だから高い」ということではなく、本当に適切な値段かどうか、納得できるか、自分にとって価値のあるものなのかどうかを判断できるかっていうのは、結構難しいことなのかなぁと思います。確かに買った時にハピネスを感じられるかって大切だし、気に入らないけど安いから買うって言うのは確かによい買い物とは言えないかも。

10月は「失敗について」

大人と子どもを分けるライン

大人と子どもとを分ける線は、年齢ではありません。自分で自分を頼りにする心づもりがあるか。それがあれば、12歳でもじゅうぶん大人ですし、何もないのなら、32歳でもまだ子どもです。

悩みの条件

もちろん、「悩める大人」すべてが子どもなわけではありません。しかし、「悩むこと」もまた、人間としての「成熟度」が問われることであるのです。

年齢には、実年齢、精神年齢、肉体年齢…といろいろな年齢があるけれども、恭子ねえさんのいう「成熟度」が「大人」かどうかを判断するのかもしれませんね。

11月は「肉親について」

反抗期

思春期はさまざまな夢もふくらむ季節ですが、何かにつけ、親への反抗心が頭をもたげる季節でもあります。親から「分相応」「身のほどを知れ」などといった言葉を投げかけられると、一瞬、前後を忘れるほどに頭に血が上ったりすることもあると思いますが、何が「相応」で何が「分不相応」かといった分け方はともかく、親が何らかの基準をあなたに明らかに示そうとすること自体には、子どもとしても敬意を払うべきでしょう。

反抗期、かぁ…まさに今、小6娘がこれに当たる訳で本人もその自覚があるようです。とは言え、反抗期と言っても、親が特にワガママと感じたり、反抗されている気がしない、何を希望しても「いいよ、いいよ」となれば子供は反抗する必要もない訳で。なので、反抗期と言えども、「反抗期=親が子供を自分の思い通りにできないこと」と認識するようにしています。恭子ねえさんの言う通り、お互いに敬意を払うことができれば、反抗期なり、いつだって関係はよくなるような気がします。だって、お互いにないがしろにされている、大切にされていない、そう思ったら悲しいし反発もしたいし、反抗したい。それは親と子供だけじゃなく、人間同士だったら同じだし。

他にも月ごとに中高生の悩みに答えています。「かわいくない制服が嫌なんです。」の中学生の問いに対しては

〇〇さんの気持ちにまったく添わない意見で申し訳ないのですが、義務教育の期間に、制服のやぼったさや学校へ行くこと自体を嘆いてみてもはじまりません。

(中略)実際には、一生のうちで制服を着てすごす時間などわずかなもの。私服ですごす時間のほうがむしろ、はるかに長いのです。おしゃれへの関心はあるのであれば、帰宅して着替える私服にこそ興味を注ぎ、センスをみがいていけばよいと思うのです。

学校へは潔く、やぼったい制服を着て向かいましょう。

最後の一文をズバッと言ってくれる恭子ねえさんは素敵だなと思うのです。私はオシャレに興味のない部類なのでアレですが、多感な中学生の頃にとっては制服ひとつとっても、その日うまくセットできなかった前髪ひとつにとっても…なのは分かる気がします。どこかなんにでもイライラしてしまう時はあるし。「潔く」何かに取り組めるっていうのは、気持ちのいいことかもしれないなって思いました。やりたくないことも「潔く」できれば、自分を褒められそうな気がするし、気持ちも晴れるというか。ちょっと気を緩めていた掃除も、今日は「潔く」取り組みたいと思います!恭子ねえさん!

これまで読んできた本の中でも、なかなかの量の付箋が貼られた1冊。一度返却はしましたが、また読みたいな、と思う1冊でもありますね。できれば娘にも読んでもらいたいなーなんて。

あとこの本、ページの印刷場所がオシャレ。角に斜めに印刷されてるデザイン。好きー。あと、なぜかページによって明朝体だったりゴシック体だったりと統一感がないんですよね…なんでなのか謎。表紙が少しキラっとしているのもポイントでしょうか。自分には理解できないような思考回路なのかもしれない人ですが、他人に流されることのない、しっかりとした軸を持っている恭子ねえさんはホント尊敬します。

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