久しぶりに小池龍之介さんの本を読みました。
大きく5章にわかれており、第1章つながりすぎない、第2章イライラしない、第3章言い訳しない、第4章せかさない、第5章比べない、と、普段やってる、絶対やってるのを「しない」ようにするためのお稽古が108書かれています。煩悩108個ですね。
今回も付箋は大量に…ホント私は煩悩だらけなんだから…
25 「もういいよ」のひと言にひそむ、相手を困らせたい幼児性
…「もういいよ」というセリフは深読みされることを期待して発せられる。回りくどい暗号で他社を従属させようとする思考は、子どもっぽく感じられるものです。…
暗号を解読させて「いいえ、やらせてください」と言わせたい横暴ぶりは、本人の脳には「他者を支配できる」という全能感の快楽を与えてくれます。が、そんな脳内遊戯んどのために、現実では「ワガママで扱いづらい人」として嫌われ、尊敬もされません。(尊敬しているフリはされますけども、いやはや)。
幼児性、かぁ…やっぱり不機嫌をふりかざす人っていうのは幼く見させるってことですね。痛い。
94 やる気を保つには「自分の意志でやる」という形式が重要
子どもの頃、「宿題しなさいよ」と言われ、「ちょうど今からやろうと思っていたんだよ!」と怒ったり、拗ねて「そんなふうに言われたせいでやる気がなくなったんだ」なんて言い返したりした記憶は、筆者に限らず、誰もが思い出の古層にお持ちのことでしょう。
本当に「今からやる気」だったかどうかはともかく(いやはや)、この記憶の核にあるのは、「自分の意志としてそれを選び取る」という見かけが、やる気を保つためには重要で「人から言われてやらされる」という形を取っただけで、自尊心をひどく傷つけられるということでしょう。
わかる…コレ、わかるなぁ!自尊心、確かにそうだなぁと思います。「人のせい」にすれば、自分を守ることになるって言うか。私も親になって「今やろうと思ってた!」的な発言を受け、それに対し「それはナイスタイミングですなぁ」と。
29 人から良い扱いを受けたときこそ諸行無常を念じておく
…よくしてもらって「価値が上がった、わーい」と喜ぶのは、将来、必ずや扱いが下がることを考えれば、価値下落とイライラを招くための時限爆弾を仕掛けたようなものと申せましょう。
この「乱高下」を防ぐには、良い扱いを受けた時こそ、喜ぶ代わりに「この扱いも一時的なもの、やがて過ぎ去るもの」とばかりに、諸行無常を念じて執着を手放しておくのが特効薬です。
結局さ、何事も諸行無常なんだよねっていつも思うように気を付けてますが、それもなかなか難しいところ…やはりこちらも原因は執着かなぁ。
79 被害者ぶって人を責めることは自ら苦しみたがるここと同じ
…実は筆者が最近してしまったことであります。何らかの被害はあるにせよ、「加害者」と決めつけた相手に罪悪感を植え付けることで、自分に都合のよいように相手を操ろうという思惑が、そこにはないでしょうか。
けれども、傷つくことが大好きになってしまいかねません。ちょっとしたことですぐ「傷ついたッ」と苦しみたがる私たち現代人は、まるで、釈迦が否定した苦行に夢中であるかのようです、ね(にっこり)。
小6娘の話を聞いていても、なんとなく「悲劇のヒロイン」思考と言いますか…自分が被害者になり、相手を加害者に仕立て上げることで自分が有利な立場になったと思いたいのかな、と思ったり思わなかったり。複雑です。
31 「家族を思い通りにしたい」という支配欲が不幸のもと
…イライラの背後には「家族を自分の思い通りにしたい」という支配欲があります。
…家族という閉じた領域では、自分の価値を高めるために、支配して相手の立場を低くしたいと考えがちなのです。すると、夫婦も親子も権力を奪い合うライバルのような存在になってしまいます。
こうして、思い通りにしたいと思えば思うほど、家族との権力闘争に巻き込まれて、互いを不幸にするのです。うーん、家族って、厄介なものですねえ。
みんなきっと「自分の思い通りにしたい」と思いますよね…家族然り、恋人しかり…ライバルっていうと大袈裟かなぁとは思いますが、友達なら尚更ですかね。特に今小6の娘は友達関係に悩んでいるご様子。もちろん冷めた目で「これは煩悩だから…」なんて思える年齢じゃないけど、いつか「あぁ、あのときはあの煩悩のせいで苦しんでたのねぇ」って思えるようになって欲しいなぁと思います。
43 知人が高く評価されるとなぜ反射的に否定したくなるのか
作者の見るところ、「他人の幸福度が上がると、その人の価値もあがり、相対的に自分の価値が低くなる」と言う錯覚に基づいています。
数値で例えるなら、自分の価値は”10”のままでも、価値”7”の知人が”15”に上昇すると、自分の”10”にあまり価値がなくなったかのように感じる。ゆえに毒の味となります。反対に知人の”7”が”3”に下がると、自分の”10”がより際立つがゆえに、他人の不幸は蜜の味となるという塩梅なのです。
これは怖い…確かに相対的に見てしまう感じあるなぁと思います。こうして文章にして説明してもらえば「そりゃそうだ!そんなことあるわけないじゃん!」と納得できるんですけども。やっぱり人間って誰かと比べることでしか幸せや価値を測ることができない、どうしても相対的に見てしまうのかなぁって思うと、切なくなりますね。私は私、他者は他者っていい意味で区別できるようになれば、もっと自分の価値を見出だすことができて幸せになれそうだなぁと思いました。
61 その場しのぎいイエスと言わず、「少し考えさせて」と保留する
「『いいよ、任せてよ』と言葉だけ調子よく、いざ頼まれたら『今週だけは忙しくて……』などと言い訳をして逃げる人。こんな人は、友ではなく友だちモドキと心得よ』
これは『六方礼経』に残る釈迦の古い言葉です。他人の目を気にして嫌われぬように調子のよい安請け合いをしがちな、我ら現代人をドキッとさせはしないでしょうか。…
勇気をだして、もっと正直に。せめて、すぐにイエスを言わず「少し考えさせて」と保留するとか。それでもうっかり安請け合いして後悔したときは、思い切って伝えると言い。「君に気に入られたくて、ついオーケーしたけど、考え直したら気が進まないんだ、ごめん」と。
そう…結局いい顔したくて、って場面は正直あります。THE 煩悩…嫌われるのを怖がり過ぎて良い人ぶって。そういうことが自分のまいた種となって痛い目にあうんでしょうね、そうでしょうね。
ああ、もっとご紹介したいところですが、ここまでにします。煩悩を静めるっていうのは修行ですね…とりあえず私の中では「あぁ、私は今煩悩に侵されているのだ」と気づくことが重要だと認識している最中なので「煩悩を静める」っていうのは大変なことなのであります。
さて、本日は金曜ですので、朝から日本人会図書室にて読書Dayです。今日は息子も6時間で帰りが遅いので、お弁当持って出かけます。息子の借りたい本、あるといいな。今日は子どもの図書室で漫画読もうかな。