the Buddha 超訳仏陀の言葉*白取春彦【日本人会図書室で借りて読んだ本】

シンガポール

シンガポールの日本人会図書室に関しては、コチラの記事をどうぞー。

すっかりドはまりしている仏教関連の本。今回はブッダの言葉がいっぱい並ぶ本です。以下、出版社様(幻冬舎)よりスクショです。幻冬舎さんはこのスクショのページ幻冬舎plusの2つのサイトがあって、plusの方は「自分サイズが見つかる進化系ライフマガジン」とのことで、いろいろな読み物があって面白そうでした。

とにかくブッダの言葉が並ぶこの本、特に心にグサっと来た言葉に付箋をしながら読んでいたのですが、こんな感じになりまして。付箋の数24。

寿司の付箋(笑)

いくつかご紹介したいのですが、まずビックリしたのがこちら。

123 信仰

信じることもまた執着。

自分の信仰すら棄て去れ。

「スッタニパータ」第5章

そうか…仏教ってのは信じるものではないのか…と一瞬唖然としたのですが、確かにブッダの教えって宗教っぽくないって言うか「心理学」みたいなイメージだなぁと思っています。これを知ってたら心が軽くなる、私にとって「救い」みたいな感じがします。

175 人の忍耐

多くの人は自分は寛容で忍耐強いと思っている。確かに、誰か立派な人が何かおかしなことを言っても、それについて反撥したりしない。何か言い返したりしたら自分が負けるのではないかと恐れるからだ。仕事仲間の誰かが何か妙なことを言っても否定しない。同僚として不和になったり気まずくなるのを恐れるからだ。けれども、明らかに自分より下だとみなしている誰かが何かを言うと、とっさに反撥したり否定したりする。もはや、忍耐のかけらもない。しかし、忍耐できるのならば、それが最上の忍耐である。

「ウダーマヴァルガ」第20章

あー…痛い、心が痛い。思い当たる節がアリアリで痛い。ついつい子供にやってる、絶対やってる。気を付けたい。忍辱。忍耐。我慢。

029 死は不思議ではない

誰かが死ぬと、慟哭する者たちよ。なぜ死んだのだと天に問い続ける人たちよ。死を最大の災厄のように思う者たちよ。人間が死ぬのはまったく不思議な事ではない。

「大パリニッバーナ経」第2章

そりゃ死ぬのは怖いし、誰かが死ぬのも悲しい。かと言って、いずれ人間は死ぬんだから、死んだ人のことをいつまでも考えて嘆き悲しむのはおかしい、とも思わないんですけどね。本当に、本当に誰かの死を考えて苦しくなったら少し、人はいずれ死ぬのだからって割り切れたら心が軽くなるのかな、とも思うのも確かですね。難しい。

044 目から心に移さない

妄想や執着を断ち切ると言っても、この世に生きている限りは多くのことを見聞きするだろう。だから、目に入ったものは目に入ったことだけにせよ。つまり、目に入ってきたことについて自分の心や情を動かさないように。同様に、聞こえてきたものは聞こえてきただけのことにしておけ。そうすれば、それらは自分の内側に入らず、苦しみや煩悶の種になることはない。

「ウダーナヴァルガ」第26章

これ、これが!そうこれが!これが難しすぎて!でも、これを知っているか知らないか、それが問題だと思います。

103 棄てると軽くなる

おまえの苦しみを、じっと見つめてみよ。誰々にののしられた、誰々に損害を受けた、誰々に手ひどく負かされた、誰々に盗まれた、という思いを抱いてはいないか。その思いがすでに怨みであると知りなさい。怨みを抱いた人生は重いものだ。安らぎというものがなくなってしまう。一切の怨みを棄てよ。今まで抱いてきたあれこれの思いをさっぱりと棄てよ。棄てれば、必ず軽くなる。棄てて、かろやかに生きなさい。

「スッタニパータ」第1章

できない…これもなかなかできないんですよ!だって、誰かのせいにすれば、そっちの方が軽くなるような気がしてしまっていて。「私は」悪くないって思いたい煩悩なのかなって、いつも思ってます。棄てるって、難しいですね。とは言え、少しずつ、棄ててみます。

128 怨みの種

怨みが少しでも残っているならば、根こそぎ刈って棄ててしまうように。怨みは人をそこなう。怨みがわずかでもあれば、この道は行けない。怨みはふだんの生活のほんのささいに見える思いや言葉から根を張る。「あいつが自分をののしった」「あの人がこんなことを言ってきた」「あいつが自分に勝った」「自分はあの人に勝った」「自分はあいつをこう思っている」こういった思いや互いの言葉が怨みの種となる。

「ウダーナヴァルガ」第14章

先ほどのものと似てますね。

040 心がいっさいを創る

物事はどうあるか。美しくあるか。醜くあるか。争いごとの種はあるか。大きな問題としてあるか。物事は自分を苦しめるか。あるいは甘美なものか。

物事がどうあるか。それはひとえに自分の心に依っている。心がそれを創っている。

「ダンマパダ」第1章

自分をもっともっと観察する必要があるなぁと改めて思います。心がどんな風に動いたのか、何を思ったのか、どんな感情が生まれたのか…やっぱり欲なんだろうなと情けなくも悲しくもなるんですけどね、結局。でも、それに気づけたなら、棄てられるかもしれない。

そんな簡単にできない(考えられない)さ…って思うことも多々。ただ、こういう思想、考えを知っているか知らないかでは、人生に大きな差ができそうな気がするっていうのが、私の中での仏教、というかブッダの教えかな、と改めて思いました。もっと、いろんなこと知りたいなと思います。結局人間は煩悩の塊なのだから。もう、それがいつも結論。

そのとき私が感じている「苦しみ」がどんな種類の「煩悩」なのかを私自信がしっかり観察することができれば、それはもう私にとったら悟ったことに近いかもしれない。だって、煩悩をなくすことが悟りなんだろうけど、私には煩悩をなくすなんてことは、きっと、できないから。

いいですね、ホント本っていいですね。新しい世界や知識、考え方が広がる時間。読書、とても幸せな時間です♡

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