こだわらない練習「それ、どうでもいい」という過ごし方*小池龍之介【日本人会図書室で借りた本をご紹介】

シンガポール

シンガポールの日本人会図書室に関しては、コチラの記事をどうぞー。

早速、小学館さんからのスクショでございます。電子版情報ですけども(ためし読みのあるようなので、ご興味あるかたリンクはこちら

以下は小学館さんが紹介しているYouTube動画ですー。

実生活に簡単に取り入れることができる18項目、ということですが、どの項目もうんうん…と大きく頷きながら読んでしまった訳ですけども「自我を消すことにこだわらない」の中の『「ブッダレベル」にならない限り、自分を完全になくすなんて無理』が印象的でした。

私自身が「自分を完全になくしたい!煩悩は全て捨て去りたい!」と考えている訳でもなく、熱心な仏教徒という訳ではないというのが前提なんですけれども…

…「自分は立派に、良い感じにやっている」と思いたがる慢心は、人間心理にとって非常に根深いものであり、初歩の悟り(=預流果)に至ってもなくならず、ほぼすべての煩悩が減り尽くして怒りも消滅するとされる「不還」という悟りの境地に達してすらなくならない、とされています。

やっぱり…慢心が根絶されることなんて、ほぼあり得ない事実…あまりにも遠い道のり…だからこそ、私は煩悩をなくしてやろうとか考えているのではなく、何と言うか「あぁ、これが煩悩なのであるなぁ」という気づきに至ることが私の中での解決なのだと考えるようになりました。まさに、上の引用部分の次には以下のような文章が続きます。

さて、このことに触れて申したかったのは、心がブッダと同じ解脱という究極の境地に至らないかぎりは、慢心はいつまでもどこまでも私たちにまるで影のごとくつきまとうのですから、それと上手に付き合う術をわきまえておくのも、大切なのではないかということです。

仏教という考え方に出会い、日々の中で自分のことでも家族の言動でも「あぁ、これが煩悩なのであるなぁ」ということを毎日、いつでもそう考える(気づく?)ようになり、それで気持ちが楽になる感じがします。本当に人間は煩悩の塊なのだと感じます。TikTokでも有名なとある和尚さんが「四苦八苦を美しくもがく」とおっしゃっていましたが、まさに私も今は苦しみの中でもがいているのだ、それがむしろ人生なのだと解釈するようになりました。

あともう一つ。「ルールにこだわらない」という中の『「他者のマナー違反」が脅かすのは社会の平和ではなく、自分の心の平和』もうこの題名に、私は大きく頷かざるを得ませんでした。そうか!そうだーーー!それだーーー!と叫びたくなるほど。そりゃ社会の平和も乱されるかもしれないけど、それ以上に自分の心の平和を脅かされているんだという認識がされるようになれば、何となく、心が軽くなる感じがします。

結局のところ、肯定されることにより、”快楽”が入力され、その快楽を反復したいという”執着”が形成され、それにもとづいて考え方が固定されただけのことなのです。

多かれ少なかれ私たちの規範意識というのはこうした他者からの承認と否定という、アメとムチによって植え付けられたものであるのは確かなようです。

その証拠に、そういった「洗脳」を受ける前の赤ん坊はほぼ例外なく、他人の迷惑などまったく省みず、ところ構わず自分の欲求を貫こうとして泣き叫びますし、好き勝手に周囲を汚したり壊したりして喜んでいますし、そこにルールへの意識を見出すことはできません。

執着…怖い…快楽、そればかりにコントロールされる人にならないようにしたいな、と思います。そりゃ、気持ちがいい方がいいですけれども。いつもどこかに何か煩悩が隠れている、と意識するようになれたというだけで、私は救われたなぁと改めて。

小池龍之介さんは、今回の本より前の作品「考えない練習」がベストセラーになり有名になられた方のようですね。今、そちらも借りてスタンバイしておりますので楽しみです。

いいですね、ホント本っていいですね。新しい世界や知識、考え方が広がる時間。読書、とても幸せな時間です♡

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