今更感が強いのですが、2021年の中国での隔離レポートを残したいと思います。
本日は本格的なレポに入る前に、どんな流れで日本一時帰国から
中国に戻れるようになったのかを簡単に残そうと思います。
2021年の春節、夫の実家だけに帰る予定がありまして、
その日本にいる間に会社から「今は中国に戻ってこないで」との連絡があり
「まぁ、コロナの様子がわかってくればスグ戻れるだろう」と思っていました。
…それがまさか、こんな長い日本での避難生活になろうとは…
元々いる予定だった夫の実家で、予定を超えて1週間ほど滞在させてもらい、今度は私の実家へ移動。
そしてあれよあれよと間もなく1か月が経とうとしていた頃、
会社が手配してくれた都内のマンスリーマンションへ。(しかも家賃も会社負担)
ちなみに実家にいるときは子供たちの学校へ行く手配はしませんでしたが
さすがに都内に移動したときは娘が小学校に行けるように手配しました。
この時は「弾力的な転入」ってことでしたが、手続き上は通常っぽい転入。
何か月お世話になるかもわからないこともあり、学年費等は現金で払わせてもらいました。
単学級の小さな学校でしたが、管理職の先生方はとても人柄もよく、
娘は放課後遊びも積極的に誘ってもらったし、給食がとってもおいしいと喜んでいました。
思い出してみると、この頃って東京で感染者が200人とかでビビッてて
2022年の今、2月は2万人超え。(見なしも含む、のようですけど)
一斉休校も懐かしい…でも、あの頃は未知のウイルスとの戦いだった訳だから
個人的にはその判断も間違いではなかっただろうなぁと思うのですが。
そして、そして、やっと、9月下旬に中国へ戻れるようになったのです。
娘には申し訳なかったけど、中国に戻る日の前日は運動会。
万が一、疲れが原因とかで発熱でもしたら困るので親の判断で不参加にしました。
そして、初めて乗る春秋航空。結果、狭かったけど十分でした。
とはいえ、とんでもないお値段…毎度会社のお金で戻らせていただきました。ありがたや。
そう、まさかの日本での8か月滞在。冬から夏までこえちゃったYO!
次回はスマホのメモに残してあるデータともとに、当時を思い出しながらここに残そうと思います。
当時私は中国に戻れたのが早い方だったので、後に続く人のために残していました。
実際に隔離に備えて準備したものや、あってよかったもの等も残します。
今は中国戻るにはどうなってるのかな…なんて思っていたらシンガポールにいる夫からの情報で
「中国行く場合は、渡航一週間前にPCR検査、さらに48時間以内にPCRと抗体検査両方必要だって」
さすが、中国!
そういえばよくよく考えてみれば、私たちと同じ時期に中国から日本に一時帰国してた人はとても多く
そのまま中国に戻れずに結局そのままずっと日本にいる友達が何人もいるし、本帰国を決めた人も多い。
私たちが戻れた9月終わりは日本人学校もスクールバスが本格的に動き出すタイミングだったし
私は本当に恵まれてるなぁと改めて感じたのでした。